四杯目のお相手は田村皇子。のちに舒明天皇となる人です。推古天皇の崩御後、王位継承をめぐる争いが勃発しました。候補に挙がったのは田村皇子と、聖徳太子の子である山背大兄王。
ここで動いたのが蘇我氏でした。宗家の実力者として力を握っていた蘇我蝦夷が田村皇子を推し、馬子の弟である境部摩理勢が山背大兄王を支持しました。両者の対立は激しく、摩理勢は蝦夷が差し向けた軍によって討伐されてしまいます。こうして田村皇子が皇位につき、舒明天皇が誕生したのです。
舒明天皇の治世はわずか十数年ですが、その間に飛鳥の国際関係は大きく動きます。隋が滅び、新たに唐が中華の覇者となった時代。舒明天皇は630年、犬上御田鍬らを派遣して、初めての遣唐使を実現しました。飛鳥から大陸へと航路を拓く一歩は、小さな盆地の国を広い世界につなぐ大きな挑戦だったのです。

舒明天皇はまた、宮の場所を飛鳥岡本宮へと移しました。大きな造営は国の力を示す象徴でもあります。飛鳥の地には遷宮が繰り返されましたが、それぞれの宮跡を歩いていると、当時の人々が大きな理想を胸に抱きながらも、権力の不安定さに揺れていたことが伝わってくるようです。
舒明天皇の陵とされる段ノ塚古墳は八角墳で、天皇陵としては初めての形だといわれます。天に通じるようなその形は、新しい国家像を示そうとした天皇の意志が込められているのかもしれません。
とはいえ、歴史を飲みながら語るときは、やや堅苦しい話ばかりでは喉が乾いてしまいます。舒明天皇もまた、盃を傾けては豪族たちと語らったことでしょう。

盃を置いて振り返ると、舒明天皇は血なまぐさい争いの末に即位した皇子でありながら、新しい国のかたちを模索し、大陸との道を切りひらいた天皇でした。短い治世のなかでも確かな足跡を残し、飛鳥から奈良時代へと続く長い歴史の橋を渡した人です。
歴史を思いながら飲む一杯は、少し炭酸のはじける音に似ています。儚く消える泡のように見えても、確かにそこにあった人の歩み。その余韻を胸に、また次の盃へと進みましょう。