ぶらり明日香さんぽ

古代史のふるさと 明日香村 をのんびり散歩しながら、四季の風景やちょびっと歴史に触れるブログです。気ままに歩き、ときどき別の町へもぶらり旅。明日香の魅力をゆるりとお届けします!

飛鳥・藤原の男帝たち

飛鳥・藤原の時代は、女帝が目立つ印象があるけれど、よく見ると男帝たちも負けてはいない。舒明天皇に始まり、孝徳天皇天智天皇天武天皇、そして文武天皇まで、五人の名前がしっかりと並んでいる。この五人の在位を、静かに数えてみると、あら不思議、推古天皇から元明天皇までの女帝の数とちょうど並ぶ。均衡がとれているのか、それとも時代がどちらにも揺れていたのか。

舒明天皇は、飛鳥の地に玉座を置き、最初に本格的な宮殿建築を始めた人物でもある。田中宮から板蓋宮へ、そして最終的に百済大寺を建てたことでも知られている。中大兄皇子中臣鎌足が後に活躍する土壌は、このあたりで整えられたのだろう。

孝徳天皇の時代には、大化の改新と呼ばれる制度改革が進められた。難波長柄豊碕宮への遷都は、当時としては画期的な「都心回帰」のようなものだったかもしれない。地方豪族に任せきりだった地方行政も、中央から目を光らせようという意志が見えてくる。

天智天皇のときには、近江大津宮が築かれ、初の全国的な戸籍「庚午年籍」が編まれた。百済救援の白村江の戦いでは手痛い敗北を喫したけれど、その失敗が日本という国の独立意識を強くしたという説もある。

天武天皇になると、話は一気に濃くなる。壬申の乱を経て即位し、律令国家の根幹となる制度を準備した。国史編纂や天皇中心の宗教儀式の整備など、後の時代にずっと響く施策を打った人物である。政治において、血のつながりだけでは治まらぬことがあると、この時代は教えてくれる。

文武天皇はまだ若くして即位し、持統天皇の後を受けた。律令国家がついに形をなしていく頃で、養老律令の編纂もこの時代に始まった。即位してから長くは続かなかったけれど、若さと希望に満ちた時代の風を、少しだけ感じさせてくれる。

男帝も女帝も、天皇の名を背負えば時代のうねりの中に立たされる。性別よりもその時々に求められたものに応えたかどうか、歴史はそこを見ている気がする。