正倉院展の季節になると、奈良の空気が少しだけきりっとする。朝晩の風に冷たさが混じりはじめ、木々が色づくころ、奈良国立博物館の前には、静かな期待が流れている。
今年の展示には、深い瑠璃色の杯や、香り高い「蘭奢待」など、名の知れた宝物たちがずらりと並んだ。どれも千年以上の時を越え、奇跡のように現代に姿を見せてくれる。あの青の深さや、香木のかすかな甘さには、人の営みを超えた時間の層が感じられる。思えば正倉院の宝物は、単なる美術品ではなく、聖武天皇や光明皇后の祈りのかたちそのものだ。
昭和二十一年、戦争の焼け跡のなかで始まった第一回正倉院展。当時の人々は、失われた誇りをこの宝物に見いだそうとしたという。敗戦の痛みの底で、千年を生き抜いた美に触れたとき、どれほど心が慰められたことだろう。そう思うと、今のにぎわいも、その延長線上にあるのかもしれない。


博物館を出ると、正倉院展恒例の薬膳弁当が待っている。今年も桃谷楼の特製。えびや牛肉のうま煮、野菜の天ぷら、そして五穀米。ひと口ごとに滋味が広がる。コップ酒を二杯ほどゆっくり飲めば、体の芯がじんわり温まってくる。

食後は奈良公園をぶらぶら。鹿がこちらをじっと見つめてくる。どこか悟ったような顔をしていて、少し笑ってしまう。古都の秋は、静かで、少し切なくて、どこか懐かしい。
一年に一度のこの日。千年の時を越えて伝わる宝物と、ほのかな酒のぬくもりと、鹿の瞳。そのすべてが、秋の奈良の風の中で、やわらかく混じり合っている。