少し山の方へ足をのばした。まだ日差しは容赦なく、立っているだけで背中に汗がじんわり広がる。それでも、耳をすませば夏の終わりが近づいていることがわかる。蝉の声が、ピークを過ぎたように、どこか間延びして聞こえるのだ。

道端の木に、蝉の抜け殻がひとつ。中身はとうに旅立ち、空っぽになった殻だけが、静かに夏を見送っている。思えば、この殻も一週間ほど前までは地中でじっと何年も過ごし、ようやく地上に出てきたばかりだったはずだ。万葉の頃にも、同じように山の木に抜け殻を残して飛び立つ蝉がいたのだろうか。歌の中で「蜩(ひぐらし)」が秋の訪れを告げているのを見ると、当時の人々も、蝉の声に季節の移ろいを感じていたに違いない。
足元の小さな砂利道に、赤とんぼが一匹とまっていた。翅は陽を受けて透きとおり、腹は鮮やかな赤に染まっている。

赤とんぼを見ると、どうしても平安時代の「秋津島(あきつしま)」という呼び名を思い出す。日本全体を指す古い言葉で、「秋津」はとんぼの古称だ。大和の国を空から見た神武天皇が、その形をとんぼに似ていると言ったという伝承が残っている。そう考えると、この小さな昆虫が、日本の別名の由来になっているというのは、なかなか粋だ。
山道を歩きながら、空を横切るとんぼの影と、どこかで聞こえるひぐらしの声が、少しずつ夏の終わりと秋の始まりをつないでいるように感じられた。暑さはまだ厳しいけれど、確かに季節は動き始めている。