
石上神宮に行く回数が、ここ数年でぐっと増えた。前は年に一度行けば多いほうだったのに、最近では月に何度も足を運んでいる。理由は単純明快、神鶏に会いたいからだ。
参道をのんびり歩いていると、陽光を受けて羽がきらりと光る神鶏たちが見えてくる。今日の主役は、見事な鶏冠を持つ白黒模様の彼。涼しい顔で立っているが、近くに寄ると瞳がきゅっと引き締まり、「この境内は俺が守っている」とでも言いたげだ。
石上神宮は、日本最古級の神社として知られ、その創建は古墳時代までさかのぼる。『日本書紀』には、この地に「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」が祀られていると記されている。この剣は、物部氏の祖神が宿る神器であり、大和政権の軍事力を象徴したものだ。
飛鳥や奈良の古代史を歩くとき、石上神宮は必ずといっていいほど登場する。豪族たちの権力争い、朝廷の安泰を祈る祭祀、そして剣をめぐる神話と伝説——ここは、それらがいくつも折り重なっている場所だ。

そんな由緒正しい神社に、今では鶏たちがのびのび暮らしている。意外なことに、この神鶏たちが境内で放し飼いされるようになったのは、わずか40年ほど前からだそうだ。もっと昔からの風景だと勝手に思い込んでいたので、初めて聞いたときは少し驚いた。
なかでも真っ白な烏骨鶏くんは、存在感が群を抜いている。今日は木の柵の上で胸を張り、思い切り鳴き声を響かせていた。その声は澄んでいて力強く、まるで千年の森にこだまするかのようだ。
古代の人々にとって、鶏は夜明けを告げる存在であると同時に、神への祈りを運ぶ存在でもあったという。太陽信仰や農耕儀礼とも結びつき、白い鶏は特に神聖視されてきた。烏骨鶏くんの鳴き声を聞いていると、ふいにこの地で行われた朝の祭祀の情景が浮かんでくる。夜明けの冷たい空気、立ちのぼる香の煙、祈りの言葉——そこに混じる、鶏の声。
白い羽毛はふわふわで、風に揺れると小さな雲のかけらのようだ。近くで見ると足は力強く、瞳は鋭い。そのギャップがたまらない。ビールを一杯やったあとに感じる、あのほろっとした幸福感が、じんわりと胸に広がる。
今日もまた、参拝というより彼らに会いに来た。千年以上の歴史を持つ神社の空気と、わずか40年の神鶏の風景が、境内でゆったりと混ざり合っている。そのあいだをふらふら歩きながら、私は少しご機嫌な午後を楽しんだ。