
刻まれているのは、万葉集巻五・八六五の歌。
君を待つ 松浦の浦の 娘子らは
常世の国の 海人娘子かも
いったいどんな場面で詠まれたのかと思えば、これがまた面白い。
この歌は、平城京にいた吉田宜が、大伴旅人に宛てた手紙に添えられた一首。時に、旅人は九州・大宰府に赴任していた。年は天平二年(七三〇)、七月十日の日付があるというから、もう千三百年近く前の文通である。
実はその手紙は、旅人からの返書に応じたものだった。旅人の手紙には、有名な「梅花の歌三十二首」の序文(巻五・八一五)からはじまり、松浦川の歌(巻五・八六三)までが書き添えられていたとされる。つまり、大伴旅人が九州の地で梅や川や海を詠んだ歌に応じて、都にいる吉田宜もまた「君を待つ松浦の娘子」を題材に返したというわけだ。
なんとも風雅なやりとりではないか。
現代でいえば、遠くにいる友人から届いたメールに、こちらも写真や短歌を添えて返信するようなものだろうか。
大宰府と平城京。千キロ近く離れたふたりをつないでいたのは、墨で書かれた手紙と、そこに添えられた歌。旅人が見た松浦の海、その光景に想いを重ねて、吉田宜は「常世の国の海人娘子かも」と歌った。海を越えて届くものへの憧れが、ここに結晶している。
石碑の前に立つと、そんな遠い昔の書簡のやりと
りが、まるで今日も続いているかのように感じられる。
「お元気ですか、旅先では梅が咲きました」
「都はいかがですか、こちらの海辺はこんなふうです」
そんな声が石の間から立ち上るようだ。
私はといえば、持ってきた冷たいお茶をひとくち。ほんのりほろ酔いになったみたいに頭がかるくなって、しばらく歌碑を眺めていた。
古代の人も、返書をしたためながら、ちょっと杯をあおったのかもしれない。そう考えると、歌も歴史もずいぶん身近なものに思えてくる。